人間関係は修復可能なのか?

現代人は忙しいと思う。

 

例にもれず、自分自身も忙しいと思う。

 

もっと時間があればいいのに、と限られた時間の中でやらなければならないことをこなし。、

 

なんとか日々を過ごしているが、

 

その中で思いがけないことが発生したりします。

 

 

コミュニケーションミスによるトラブルです。

 

 

それは突然発生します。

 

 

相手は、友達だったり、恋人だったり、親だったり様々です。

 

 

まだ小さい頃は、よくそんなトラブルが起こりました。

 

でも、学校の友達なんかだと「ごめんね!」と謝ったり、毎日顔を合わせるもんだからいつの間にか仲直りができているということもしばしばしばでした。

 

それがだんだん大人になるにつれ、こういったトラブルを起こしたときにどうすればいいのかわからなくなってしまった気がします。

 

 

というよりも、トラブルを起こさないように、起こさないようにということに気を付けすぎてしまったんです

 

どういうことかというと。

 

もちろん、みなさんトラブルは嫌だと思います。苦しかったり、痛かったり、もどかしかったりしますもんね。そしてそれは、もう二度と経験したくないことです。

 

 

なので私は、にこにこしてみたり、相手を不快な気持ちにさせるようなことを言わないようにしてみたり、ちょっと無理して人の仕事を引き受けてみたり、「そのトラブルが起きないように」尽力をしてきたわけです。もちろんそれで表面上は上手くいってるように見えていたのですが、結局これは私が我慢をしてることになり、ということはつまり私が本音を隠してることになり、まっすぐなコミュニケーションができなくなってしまっていたのです。

 

相手のことを良かれと思ってしていたことが、結果的に自分も相手も苦しくさせてしまったのです。

 

また、前の記事にも書きましたが、「コミュニケーションはズレるもの」です。

ズレるのが大前提なのに、ズレないようにズレないように、ぶっちゃけ意味のない努力をしてきてしまいました。

 

 

これは大変ですね!

 

 

私は最近このことに気づいたのですが、

これに気づいて以来、人と接するのが怖くなってしまいました(/ω\)

 

しかし、それも仕方ありません。今まで、本音の交流をしてきていなかったわけですし、

「怖い」と思うということは、それをやろうとしているからだ、と勝手に解釈しています。

 

 

 

 

人の目は気になります。

特に日本人は、狭い島国で育ったために、隣の人とトラブルを起こさないように、必死で回りに合わせてきた民族です。

それはとても大事な習慣ではありますが、互いが本音をぶつけて分かり合っていくイメージは持ちにくいですよね。

 

しかし、その方法では、人と人はずっとズレたままの状態で本当に分かり合うことはできません。

 

 

理想は本音と本音をぶつけ合って分かり合っていくことですが、自分の目の前のことでいっぱいいっぱいで、そんなことしてたらヘロヘロになってしまう~~ということもあるでしょう。(私がそうなので(*´Д`)

 

 

そんな時に希望なのが認識技術です。なんと、全てを一掃してくれますから。

 

 

過去の経験も、トラブルも、本音が言えない悩みも、すべて解決することができます。

 

 

 

そうでなくても、ほんの少し相手を理解する一歩を進めていきたいなぁと思った一日でした。