いやでも、お釈迦様

昨日の話の続きです。

 

emiemi.hatenadiary.jp

 

昨日私は、ネットで生きる意味を検索しお釈迦様のたとえ話まで行き着いた訳です。

 

そこでお釈迦様は、人間とはこういうものですよとお話になられていた。

 

人生に迷って迷って、考え抜いて、どうしようもないくらい突き詰めてきたトルストイみたいな人たちにとっては、本当にすごいお話なのかもしれません。

 

でも、それを読んでも正直私はトルストイのように「そうなんだ!お釈迦様すげー!」とはならなかったわけで。人間とはこういうものだよということはわかったけれど、じゃあ「明日からすっごい仕事頑張ろう!」とか、「ささやかな毎日がなんて幸せなんだ!」とか、「周りのみんなありがとう!大好き!」とはならず、むしろそんな大きな感動はなくても、明日頑張ろうと思える活力とか、もう少し彼氏とうまくいく方法とか、会社で仕事を頑張れるようになれたらとか、そんなことを思ったわけです。明日がもうちょっと楽しくなったらいいなって。

 

じゃあ一体、何がどうなったらそんな気持ちになることができるんだろう、と考えてみることにしました。

 

 

 

 

リテラシー技術2

コロナ第6波、もう嫌になってしまいますね。

 

私が勤めている地域でもコロナが増えていて、学級閉鎖になっている小学校がいくつかあるのだとか。ついこの間まで落ち着いていたと思っていたのに一気にこんな感染者数、、、、重症化する可能性が低いという話はありますがやっぱりかかりたくないものです。手洗い、うがい、マスクを徹底していきたいと思います。

 

今日は私、朝から何だか気持ちが落ち込んでいました。

いや今日と言わずなんかここのところずっと気持ちが落ち込み気味です。

 

私は今、難題にぶつかっています。

 

私は、去年転職をし今の会社に勤めています。一方で、nTechを使った事業を展開していきたいという夢もあり、仕事の合間を縫ってプロジェクトを進めています。実は前の職場は割とゆったりとしていて、プロジェクトと2足の草鞋を履くにはとても好都合でした。今回転職するにあたり、そこのところも考慮に入れて職を探したというのはありましたが、入ってみると結構忙しい会社。半導体業界自体が忙しいということもあり、入社して半年経ちますがいまだに一日一日を終えるのに必死です。そしてもちろんプロジェクトはプロジェクトで忙しく毎日をなんとかやり過ごしているうちにある疑問が湧いてきてしまいました。

 

「あれ、私って何のために頑張ってるんだっけ?」

 

やりがいのあることはしたいと思うけれども、こんなに一杯一杯になるまで頑張ってまで得たいものなのか?お金は確かに稼ぎたいと思ったりするけれども、本当にお金が稼ぎたいのか?そもそも、こんなにがむしゃらに頑張って私全然楽しくなくない?と、ドツボにハマってしまいました。

 

しかし、仕事にはいかなければならない、プロジェクトは人との関わりがあるため勝手に止めるなんて無責任なことはできない、人に相談するにしても誰になんて相談していいのかわからない。

 

こんなことを考え出すとキリがありません。どんどん時間だけがすぎていき、自己嫌悪、諦めだけを蓄積してしまうのですが。。。。

 

 

どうしようもなくてなんとなくネットで、生きる意味という単語を調べてみました。

すると、その昔お釈迦様が人間の実相についてたとえ話をされたというページが目につきました。(たくさんページが出てくるので、興味のある方は調べてみてくださいね)

 

かの有名なトルストイもこのたとえ話を読んで衝撃を受けたそうです。

これを読んで衝撃を受けたトルストイという人は、きっとすごい人だったんだろうなぁと思います。私は確かに人間ってそんなものなのかもしれないなと思ったくらいだったので。

 

ただ、自分の人生について、人間というものについて、常に疑問を持ち続け追求し続けることは必要だなと思いました。なぜならば、それが生きる意味、人生を頑張る意味だと思うからです。

答えはないかもしれないけど、考えてみようとする。

 

限りなく答えに近づいた先人たちはいます。イエス、お釈迦様、他にも名前も知らないけど哲学者として名前の残っている人はたくさんいます。少し勉強してみようかな。自分の答えを見つけて生きていきたいと思います。

 

 

リテラシー技術

"リテラシー"という単語を最近よく聞きます。

最近私が、本当に必要な能力、技術だと思っています。

 

リテラシーとは、原義では「読解記述力」を指し、転じて現代では「適切に理解・解釈・分析し、改めて記述・表現する」という意味に使われるようになり、日本語の「識字率」と同じ意味で用いられている。 ちなみに、古典的には「書き言葉を正しく読んだり書いたりできる能力」と言う限定的に用いられる時代もあった。 (ウィキペディア)

 

意味をネットで調べると、このように記載がありました。

 

朝から晩まで、どれだけの情報を浴びていることでしょう。

朝目を覚ましたら、テレビをつける、来ているメールやLINEを開く、朝から家族の話を聞く、出勤中のラジオ、動画視聴、ゲーム、日中は仕事に必要な情報を集め、週末のために世の中のトレンド、趣味、旅行先を探し、生きていくために必要な情報を探し、、、、

 

まさに現代は超・情報社会。

しかし社会のことをどうこういう暇はありません。

 

この情報の海の中から、自分にとって本当に必要な情報を見分ける力が必要です。

 

 

 

 

 

 

 

平成から令和

今日は41日。

私の従兄弟は就職のために九州から関東へ、姪っ子は幼稚園に入園、私自身も職場での人事があったりと、

なんかソワソワするような、新しい空気に包まれています。

 

 

さて、そして先ほど新しい元号が発表されました。

 

新しい元号は、「令和」

 

51日に正式に新天皇が即位されます。

 

昭和が平成になったのは30年くらい前。

まだそのころは小さくて覚えていないのですが、

 

激動の、日本がとにかく耐え忍んで頑張った昭和の時代を終え、

新しい日本が始まることに誰もが期待に胸を膨らませたこととと思います。

 

 

新しい時代はどんな時代になるでしょうか。

 

これからの日本がどんな道を進んでいくのか、

 

日本に住んでいる一国民として、どんな日本にしていきたいのか。

 

みんなが考えられる機会になればいいなぁと思います(*'ω'*)

人間にもアクセルとブレーキがある

なんか今日は気分がいいな、なんでもできそうな気がするよ!

 

とか、

 

なんか今日は調子が悪い、ついてない気がする

 

とか、

 

気分の浮き沈みはあるものです。

 

 

この気分の浮き沈みってなんで起こるか考えたことがありますか?

 

 

 

人を車に例えるとわかりやすいといつも思うのですが、

 

車を運転するときに、ずっと一定の速度で走るわけではありません。

 

アクセルを踏んだり、ブレーキを踏んだり、調節をしながら進むことでしょう。

 

 

そして、「右だ!」と思ったら右にハンドルを切ったり、

 

障害物があればよけたり、

 

 

そんなことを繰り返しながら目的地へ向かいます。

 

 

人間も同じようなものです。

 

 

気分の浮き沈みがスピードの速い遅いだったり、

 

ストレスが障害物だったりするのでしょうか。

 

 

そして、人間という車を動かす「アクセルとブレーキ」もちゃんとあるのです。

 

例えば仕事をする時。

 

上司に厳しくされればされるほどコノヤロー!!と燃えて仕事ができる人もいれば、

 

褒められた方がどんどん吸収して仕事がはかどるという人もいます。

 

 

これは、それぞれがそれぞれの「アクセルとブレーキ」を持っているからなのです。

 

 

私が持つ「アクセル」は、『人の役に立ちたい!!』で「ブレーキ」は『怒られるのが怖い』なので

上の例で言えば、褒められて伸びるタイプだと思います。

 

この「アクセルとブレーキ」はだいたい小さい頃の両親とのコミュニケーションが要因のところが大きいようです。

 

 

 

これが分かったら何がいいかというと、『自己否定』をしなくなるというところなんです!!

 

 

 

 

 

 

 

最近、「自分のことをちゃんと理解する」ってめちゃめちゃ大事だと思うようになった

人とコミュニケーションをとるとき、

 

毎日充実した日々を送るために、

 

自分の人生をより良くするために、

 

etcetc...

 

 

とにかく、大事なことって何だと思いますか?

 

 

 

「自分のことをちゃんと理解すること」

 

これこそが大事なことなんだって、最近本当に良く思うようになりました。

 

例えば、人間を車に例えるとするならば。

 

車にを運転して乗りこなすためには、

ちゃんと勉強して、試験を受けて免許を取得する必要があります。

運転をするときは、ちゃんと手順どおりに、キーをさして、エンジンをかけて、アクセルとブレーキを交互に踏んで。。。。とすることで、自由に車を操ることができます。

 

ちゃんと、車の運転の方法を理解して、技術を身に着けているから自由に操ることができます。

 

 

じゃあ、人間の場合はどうでしょう。

 

人間の運転の方法、技術って、大体我流だと思います。

 

誰も教えてくれず、

 

なんとなくわかった気になってるのですが、

 

実はわかっていないから、

 

よく交通事故を起こしているようなイメージです。

 

 

だから、愛情を伝えようとしているのにうまく伝わらなくて喧嘩してしまう、

 

良かれと思ってやったことが、全然相手にとってはいいことではなかった、

 

ちょっとした言葉のアヤで相手をとても傷つけてしまった、

 

とか、心当たりがあるのではないでしょうか。

 

 

私は今まで、このことが起こるのは、「自分が相手を理解できていないからだ!だからもっともっと相手を理解してあげなきゃ!」と思っていたんです。

 

でも、これはとんでもない先走りです(笑)

 

 

車を運転するときも、まずは自分が乗る車のメンテナンスからです。

鍵を指す場所、アクセルとブレーキ、ミラーの場所を確認してから初めてエンジンをかけます。

 

地図を見るときには、まず自分の場所を確認してから行先までの道のりをみます。

 

 

人間も一緒です。

まずは自分自身のこと、自分自身の使い方・運転の仕方をマスターすることです。

 

この、運転技術をマスターできるのがnTechです。nTechは究極的に自分自身をマスターできる技術です。

 

私は、早く自分自身をマスターして、人生楽しみたいなと思っています。

 

また、ここのところは続けて書いていきたいと思うので、よろしくお願いします(*'ω'*)

ここのところ色々あったのです、実は。

さて、お誕生日を迎えて気持ちも新たにしたところですが、

 

実はそのころもパートナーとの喧嘩を継続していました。

 

なんと、一か月半近くも連絡を取っていない状態が続いていたのです。

 

このままではいかんと思い、何とか会う機会を作ることができました。

 

 

一体この一か月何が有ってこんなことになったの?

 

と、よくよく話を聞いてみたところ、彼の私に対する不満、不信、ぽろぽろ出てきたのです。

 

なるほどなるほど、それは確かにそうなるよなぁ、と理解できたのでした。

 

 

コミュニケーションは本当に難しい、大変です。

 

私にとって彼は確かに、大事にしたい、一緒に歩んでいきたい存在ではあるけれども、

どこか話しにくい、深いコミュニケーションが難しいようにも感じてしまうのです。

 

そこを乗り越えることができたら、いい関係性が作れると思うのですけどね。

 

私の頑張り時です!乗り越えようと思います(*'ω'*)