平成から令和

今日は41日。

私の従兄弟は就職のために九州から関東へ、姪っ子は幼稚園に入園、私自身も職場での人事があったりと、

なんかソワソワするような、新しい空気に包まれています。

 

 

さて、そして先ほど新しい元号が発表されました。

 

新しい元号は、「令和」

 

51日に正式に新天皇が即位されます。

 

昭和が平成になったのは30年くらい前。

まだそのころは小さくて覚えていないのですが、

 

激動の、日本がとにかく耐え忍んで頑張った昭和の時代を終え、

新しい日本が始まることに誰もが期待に胸を膨らませたこととと思います。

 

 

新しい時代はどんな時代になるでしょうか。

 

これからの日本がどんな道を進んでいくのか、

 

日本に住んでいる一国民として、どんな日本にしていきたいのか。

 

みんなが考えられる機会になればいいなぁと思います(*'ω'*)

人間にもアクセルとブレーキがある

なんか今日は気分がいいな、なんでもできそうな気がするよ!

 

とか、

 

なんか今日は調子が悪い、ついてない気がする

 

とか、

 

気分の浮き沈みはあるものです。

 

 

この気分の浮き沈みってなんで起こるか考えたことがありますか?

 

 

 

人を車に例えるとわかりやすいといつも思うのですが、

 

車を運転するときに、ずっと一定の速度で走るわけではありません。

 

アクセルを踏んだり、ブレーキを踏んだり、調節をしながら進むことでしょう。

 

 

そして、「右だ!」と思ったら右にハンドルを切ったり、

 

障害物があればよけたり、

 

 

そんなことを繰り返しながら目的地へ向かいます。

 

 

人間も同じようなものです。

 

 

気分の浮き沈みがスピードの速い遅いだったり、

 

ストレスが障害物だったりするのでしょうか。

 

 

そして、人間という車を動かす「アクセルとブレーキ」もちゃんとあるのです。

 

例えば仕事をする時。

 

上司に厳しくされればされるほどコノヤロー!!と燃えて仕事ができる人もいれば、

 

褒められた方がどんどん吸収して仕事がはかどるという人もいます。

 

 

これは、それぞれがそれぞれの「アクセルとブレーキ」を持っているからなのです。

 

 

私が持つ「アクセル」は、『人の役に立ちたい!!』で「ブレーキ」は『怒られるのが怖い』なので

上の例で言えば、褒められて伸びるタイプだと思います。

 

この「アクセルとブレーキ」はだいたい小さい頃の両親とのコミュニケーションが要因のところが大きいようです。

 

 

 

これが分かったら何がいいかというと、『自己否定』をしなくなるというところなんです!!

 

 

 

 

 

 

 

最近、「自分のことをちゃんと理解する」ってめちゃめちゃ大事だと思うようになった

人とコミュニケーションをとるとき、

 

毎日充実した日々を送るために、

 

自分の人生をより良くするために、

 

etcetc...

 

 

とにかく、大事なことって何だと思いますか?

 

 

 

「自分のことをちゃんと理解すること」

 

これこそが大事なことなんだって、最近本当に良く思うようになりました。

 

例えば、人間を車に例えるとするならば。

 

車にを運転して乗りこなすためには、

ちゃんと勉強して、試験を受けて免許を取得する必要があります。

運転をするときは、ちゃんと手順どおりに、キーをさして、エンジンをかけて、アクセルとブレーキを交互に踏んで。。。。とすることで、自由に車を操ることができます。

 

ちゃんと、車の運転の方法を理解して、技術を身に着けているから自由に操ることができます。

 

 

じゃあ、人間の場合はどうでしょう。

 

人間の運転の方法、技術って、大体我流だと思います。

 

誰も教えてくれず、

 

なんとなくわかった気になってるのですが、

 

実はわかっていないから、

 

よく交通事故を起こしているようなイメージです。

 

 

だから、愛情を伝えようとしているのにうまく伝わらなくて喧嘩してしまう、

 

良かれと思ってやったことが、全然相手にとってはいいことではなかった、

 

ちょっとした言葉のアヤで相手をとても傷つけてしまった、

 

とか、心当たりがあるのではないでしょうか。

 

 

私は今まで、このことが起こるのは、「自分が相手を理解できていないからだ!だからもっともっと相手を理解してあげなきゃ!」と思っていたんです。

 

でも、これはとんでもない先走りです(笑)

 

 

車を運転するときも、まずは自分が乗る車のメンテナンスからです。

鍵を指す場所、アクセルとブレーキ、ミラーの場所を確認してから初めてエンジンをかけます。

 

地図を見るときには、まず自分の場所を確認してから行先までの道のりをみます。

 

 

人間も一緒です。

まずは自分自身のこと、自分自身の使い方・運転の仕方をマスターすることです。

 

この、運転技術をマスターできるのがnTechです。nTechは究極的に自分自身をマスターできる技術です。

 

私は、早く自分自身をマスターして、人生楽しみたいなと思っています。

 

また、ここのところは続けて書いていきたいと思うので、よろしくお願いします(*'ω'*)

ここのところ色々あったのです、実は。

さて、お誕生日を迎えて気持ちも新たにしたところですが、

 

実はそのころもパートナーとの喧嘩を継続していました。

 

なんと、一か月半近くも連絡を取っていない状態が続いていたのです。

 

このままではいかんと思い、何とか会う機会を作ることができました。

 

 

一体この一か月何が有ってこんなことになったの?

 

と、よくよく話を聞いてみたところ、彼の私に対する不満、不信、ぽろぽろ出てきたのです。

 

なるほどなるほど、それは確かにそうなるよなぁ、と理解できたのでした。

 

 

コミュニケーションは本当に難しい、大変です。

 

私にとって彼は確かに、大事にしたい、一緒に歩んでいきたい存在ではあるけれども、

どこか話しにくい、深いコミュニケーションが難しいようにも感じてしまうのです。

 

そこを乗り越えることができたら、いい関係性が作れると思うのですけどね。

 

私の頑張り時です!乗り越えようと思います(*'ω'*)

ひさしぶりの更新。。。

こんにちは!

 

久しぶりの更新となってしまいました。

 

早いもので、3月も月末に差し掛かっています。

 

実は私は3月はお誕生日月。

 

また一つ歳を重ね、34歳になりました。

 

ここまで歳を重ねることができたことに感謝し、

 

一日一日を大事に、過ごしていきたいと思います。

やる気が出ない、無気力、無感動なライフスタイルを変化させるためには? ~NohJesu氏のメルマガより~


日々が感動にあふれ、やりたいことに真っすぐに、意欲的にモチベーション高く取り組めたら、毎日どんなに楽しいだろう?と思いませんか。

 

同じようなことを感じている人もいるのかもしれませんね。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー


先日、接客業3年目の20代の男性からお話を聞きました。

彼は、大手飲食店で働いており、
働きはじめた当初は、
お客さんとの関わりが楽しくて、
やりがいを実感していましたが、
最近は仕事にマンネリを感じ、
それも楽しめなくなり、不平不満も生まれ、
接客に心が入らなくなってしまっているそうです。

彼なりに問題意識を感じ、何とかしようと
社内のサービス研修を受けたりはしますが、
気分が変わるのはそのとき限りで、
実際の現場に戻ると同じ毎日が繰り返される。

最近は、そんな気分が態度に出て、
お客さまからクレームをいただくこともあったそうです。

今では完全に自信をなくし、
無気力、無感動な毎日を送るようになってしまっているそうです。

では、
そんな無気力、無感動なライフスタイルを
変化させるためには何が必要なのでしょうか?

それには、まず、
マンネリや自信がなくなっていく仕組みを理解することです。

私たち人間は、常に脳を通して
この世界を認識していますが、
脳機能には、次の4つの特徴があります。

1)部分だけを取る
2)違いだけを取る
3)過去と繋げて取る
4)有限化して取る

それはつまり、

1)全体を取れない
2)共通を取れない
3)今ここのありのままを取れない
4)無限を取れない

という機能的な限界があるということです。

そんな不完全な脳の観点で認識している限り
常にほんの一部分だけを取って、
相手や自分を決め付けて、
他人否定や自己否定を
繰り返す毎日になってしまうということなのです。

マンネリはどんどん悪循環を起こし、
不平不満が生まれ、自信感も喪失し、
その結果、無気力、無感動な人生になってしまいます。

nTech(認識技術)は、
人類共通の観点の限界を超えて、
人間のあらゆる思い込みや決めつけを
オールゼロ化した大自由な
本来の心に戻ることができる技術です。

人間のこの能力はすごいとおもう

 

人間はいろんな能力を持ってると思うけれども、

 

最近私がこの能力とんでもないんじゃないかと思うのは、『名前を付ける能力』です。

 

 

よく、日本の物語の中で。“相手の本当の名前を知ると相手を思うがままにコントロールできるようになる”といった類のものがあるのですが、よくよく考えてみるとそれはフィクションじゃないのかもしれないと思うわけです。

 

 

そもそも、私たち人間がどのようにしてこの現実社会で生活をしているかというと、

 

「ここからここまでがコレ」と規定して、それに用途や機能を与え、それに名前を付けます。

 

名前を付けることで、人間はそれをそれとして認識し、現実社会のものとして取り入れていきます。

 

逆に名前のないものに対しては、人間は不安と恐れを抱くのです。

 

 

 

例えば、突然腹痛と高熱に襲われたとします。一晩寝ても治らないとき、どんどん不安になってくることはありませんか?

 

「いったい私の病気は何なんだろう?」

「これから私はどうなるんだろう?」

「これはいつまでつづくのかな?

Etcetc…

 

不安は次から次から湧いてきます。

 

そんなとき病院で“風邪ですね”と言われたら。

 

 

「風邪なのか!」ととても安心しませんか。

なんか小難しいカタカナの名前だったとしても安心します。

 

聞いたところによると、

今医学で解明されている病気は3割にも満たないそうです。

 

それでも、「風邪」と言ってもらった方が安心するはず。

 

 

例えば、あなたが誰かに頼みごとをする時。

○○さーん、と呼びかけたら答えてくれますよね。

もしあなたがその人の名前を知らなかったら、もしその人に名前が無かったら、

その人があなたの頼みごとを聞いてくれることはないかもしれません。

 

 

 

更におもしろいこと。

例えば、目の前にあるコップがコップだと知らないとき、

 

「これは何だろう??何に使うもの何だろう?」

 

という思考をします。

 

 

でも、それがコップでモノを飲むためのものだ、ということが分かれば。

 

「これに何を入れよう?」

 

という思考になるはずです。

 

 

一つの物事が定まれば、人間は次の段階の思考へ進むことができるんですよね。

 

 

まるで、階段を作ってるみたいです。

 

 

文章が拙くて、イメージが伝わるの難しいかもしれませんが、

 

またちょこちょこ書いていこうと思います。