将来、私の父と将来の旦那さんが孤独孤独死しないようにするために
最近度々こんな記事を見かけます。
こんな記事を見るたびに、
「父より母が先に無くなったらどうしよう。。。」と思わずにはいられません。
最近では、私の未来の旦那さんより私が先に死んじゃったら大丈夫かな、という心配もしてますが(笑)
女性の方が年齢を重ねるごとにどんどん外向きに、パワフルになり、
ご主人が亡くなった後の方が人生を謳歌してる、なんて話はよく聞きます。
逆に男性は、一生懸命仕事に打ち込んだ分、その後の切り替えがうまくいかなかったら、
「今まで自分の人生はなんだったんだろう」「これから何をして生きていけばいいんだろう」という状況に陥りやすいのだとか。
それを、相談できる人がいればよいのですが、
なかなかプライドが邪魔して、そんな弱音のようなこと“はずかしくて絶対言えるもんか”みたいな。
あぁ、THE九州男児の、私の父がそのようになっているのは目に浮かぶようです。
逆に父が亡くなった場合、母は姉妹やママ友でキャーキャー井戸端会議で楽しんでそうな予感がします(笑)
この記事には「自分の弱さを認める強さ」こそがカギとあります。
でもこれ、本当に難しいこと。
特に男性にとっては特にそうだと思います。
日本は「恥」の文化ですから。
恥をかくくらいなら死んだ方がマシだって表現があるくらいですよね。
自分の弱さを認めてさらけ出すくらいなら、一人で死んだ方がマシだ!って思う男性も少なくないと思います。
じゃぁ、どうしたらいいのか。
孤独にさせない、「ロンリネス」にさせない、地域や社会があればいいなと思います。
孤独になるのは、その人のせいではなくそうさせてしまう社会が問題なのではないかと私は思います。
大きなところから、社会システムから変えていくこと。
大きな社会システムを変えるには、まず身近な人から変えてくこと。
遠回りなようで、実は手っ取り早いのではないでしょうか。
ちょっと考えてみたこと ~「間」ってすごくない!?~
元々、いろんな事考えるのが好きな妄想族なのですが、日々に追われるとついそんなこと忘れちゃう💦
でも、ちょっと時間あるときにでもそれを書き留めておきたくて、シリーズ開始します❢
「ちょっと考えてみたこと その① ~「間」ってすごくない!?~
時間の概念ってすごくすごく難しいなぁとふと思いました。
というのも、私時間の計算がとっても苦手で。
携わってる仕事の中で、お客さんの従事時間をチェックするという案件があるのですが、
例えば、枠が15分単位で記載されておりそれを塗りつぶさないといけないのですが、
8:59は前の枠、9:01は次の枠、9:00は次の枠??となっちゃう。
まぁ、これは私が苦手というだけですが💦
時間はスケールを細かくすればするほど、前の枠、後ろの枠に分けることができます。
じゃぁ、その一瞬というのはいつ?どこからどこまでなのでしょう?
「どこからどこまで」というのを決めちゃう瞬間、前の枠、後ろの枠ができちゃいます。
じゃぁ、ほんとに「今!」って??
時間というのはそんな概念。
でも、そこでホントにホントに便利なのが「間」という単語。
この汎用性は素晴らしい(笑)
「時」というだけでは、流れるような掴みどころのないような不思議なイメージなのだけど、
「間」とつけるだけで、一気に日常で使えるものになる。
この「間」に着目したのがNohJesu氏。
「間」って外国語で説明するのはとっても難しいんですって。
右でもない左でもない、白でもない黒でもない、先でもない後でもない、
その「あいだ(間)」、
“白黒はっきりしてくれよ!”
と言いたくなる方もいそうですが、
この「間」の概念が、これから世界の希望かもしれませんよ( *´艸`)
大叔父の死
昨日、突然に母から電話があり、なんだったっけと思って出てみると、
先日より危ないかもと言われてた大叔父(祖母の兄)が亡くなったとのことでした。
小さい頃は、よく軽トラでウチに遊びに来ては、えみちゃんえみちゃんと可愛がってくれたおじさんでした。
昔農機具の事故で切断してしまったらしく、人差し指がありませんでした。
小さいながらに、「昔は大変だったんだなぁ~」と思いながら接していたのを覚えています。
いつの間にかおじさんが我が家を訪れることは少なくなり、
昨日母に聞いたところによると、糖尿、胃がんと病を持っていたそうです。
それだったら、今はだいぶ私の記憶とは違うおじさんの姿だったのかもしれません。
それにしても。
91歳だったそうです。
この91年間、どんな人生だったのでしょうね。
人が亡くなり、人が生まれ、それが集まって集団ができる、歴史ができる。
人間とは不思議なものだなぁ、としみじみしました。
さて、我が家は長生きの家系らしく、
私の祖父母は、父方も母方もまだまだ健在です。
そしてご兄弟もまだまだ(笑)
まだまだ歳だなんていえませ~ん^^;
風の谷のナウシカは絶対漫画を読んでほしい
どうしても読みたくって、少し前に漫画を揃えました。
「映画は漫画のほんの一部で、だいぶ前部の出来事だよ」と何かで見たとおり、本当にそうです。
ちょっと話が難しくて、何回か読み直し、その後初めて映画を見たのが今日でした。
忘れているところも多くて、もう一回読み直そうと思いますが、読んで映画を見るのとそうでないのとでは、感じ方が全く違いますね!
「人間はなぜ生まれたのか」
その存在価値を、自然との共存という観点から描かれています。
その結論は、ぜひ漫画を読んでほしいです。
私は、そこにあるのは絶望ではなく希望であってほしいなぁ
そんなことを思いながら、今日のロードショーを楽しみました(o^^o)
あけまして、おめでとうございます!
2019年、とうとうあけてしまいました。
我が家は、本家なので盆と正月は怒涛です。
特に正月は、深夜に初詣に行く習慣があるためほぼ睡眠をとることなくお客さんの準備が始まります。
昔に比べて来るお客さんの量は減ってしまったので、そこまでないんですけどね!
今年は、4番目のいとこが彼女を連れてきました。
母方のいとこはとても仲がいいので、それぞれパートナーを見つけると早く紹介したくて仕方ないようです。
私が1番目(独身)、に始まり、3番目まで結婚しました。
父が、こうやって減ったり増えたりしていくのがいいじゃないですか、と。
確かにな〜、と父の言葉にしみじみしながら、
それでも賑やかに2019年の幕開けです。
今年の干支は、イノシシ。
イノシシはターゲットを見つけると脇目も振らず一直線に走ります。
その命が尽きるまで。
今年はこれをやったぜ!!と、年末に言えるような一年にしたいですね(o^^o)
皆様にとって幸せ溢れる一年になることをお祈り申し上げます♪
一年間を振り返ろうと思ったんだけど、全然覚えてないw
クリスマスもあっという間に過ぎ去り、いよいよ年末となりました。
2018年、どんな年でしたか?
ぜひこの一年間を振り返る時間をとることをおススメします(*’ω’*)
私もちょっとこの一年を振り返ってみようと思います。
2018年、私の今年は実家のイベントから始まりました。
祖父が昨年末から目の手術で入院していたのです。
母の献身的な看病を目の当たりにし、人を大切にするということを考えたところから始まりました。
年度末は仕事に追われました。
9月から部署を移動して初めての年度末。
忙しいとは聞いていましたが、慣れない環境でミスを連発し、
上司に指導を受けながらなんとかやり切った、そういえば。
誕生日は北九州の空間を案内してもらって、
嬉しかったですね(*’ω’*)
3月末からは私の活動の中で大きな大きなプロジェクトが始動し、
これまた忙しくなりました。
そうそう、4月にはアカリが生まれたんですよね。
おばちゃんになりました。
肉親が増えるのは初めての経験で、可愛くて可愛くて仕方ないです。
ホントに人間の成長はとんでもない!と思い知らされたアカリの誕生がありました。
そのあたりまでは何とか覚えてるのですが、そのあとは怒涛(笑)
ほぼ毎月の出張や、実家の手伝い、プロジェクトの推進や、その他etc,etc.
安定的に季節の変わり目には風邪を引いたし、目の前のことに追われすぎてなんかいいことがあったのかどうかも分かりませんが(*´Д`)
12月には父が還暦を迎えました。
小さいころから怖くて怖くて仕方なかった父ですが、私の一番の味方だと思っています。
嬉しそうでよかった。
忙しいのが好きなので、
2019年もあわあわばたばたやっていくのかもしれませんが、
少しでもいい一年だったって思える年にできたらいいなぁとおもっています。
みなさまのご多幸をお祈りしております。よいお年をお過ごしください。
このままだと日本がヤバイってぞっとした
私は、コミュニケーションについて勉強していますが、これは結構衝撃的でした。
今や、中学生・高校生、小学生までもが携帯を片手に生活をする時代です。
私自身も携帯がないと生活ができないほど携帯に依存をしているのですが、
自分でも顕著に感じるのが文章力の衰えです。
元々、読書は好きで、小学校や中学校では作文で表彰されたり、
ブログとまではいきませんが、思いついたら日記のようにつらつらと文章を書いてみたりはしていました。
そうそう、お手紙もよく書いていました。
それが、ここ最近、文章が書けないのです。
おそらくですが、最近の主なコミュニケーションツールが、「LINE」だからなのではないかなぁと思います。
LINEでは、長々と文章を書くことはありません。
日頃の会話のように、ポンポンやり取りがなされます。
なので、「じっくり言葉を選びながら文章を構成する」ということをしなくなりました。
それは同時に、空想力や、イメージ力さえも鍛える機会がなくなってしまったのではないかなと思います。
書くことは、割とハードルが高いことであるのかなとは思います。
まずは、「読む」から、「理解する」だと思うのですが、これができないとかなりコミュニケーションが大変なのが想像できます。
まず、単語を知らないと、それが何なのかがわからない。
てにをはも何気に大事ですよね。それを間違えると主語が変わってしまったりしますから。
そして、前後の文章の接続詞が理解できなければ、その関連をイメージすることが難しく、
伝えたいことと全く逆のことを受け取ってしまうかもしれません。
確かに、現代の教育は暗記教育・詰め込み教育、と言われます。
学校の勉強が将来何の役に立つの?という人もよくいます。
でも、私は学校に行ったお陰で漢字も読めるようになったし、算数もできるようになったし、
グラフも読めるようになったし、社会人になって困ったことはありません。
何が問題かって、
本人が楽しく、学ぶ意欲をもって勉強に取り組むことができないのが問題だと思うのです。
いや~~
これからAIがどんどん導入されていく中で、AIを使いこなす人も必要です。
でも、その説明書を担当者は読めないかもしれません(/ω\)
このままではどんどん格差は広がっていくし、
諸国の勉強熱心な人たちがどんどん日本にやってくるでしょう。
AIに仕事を奪われる方がまだマシかもしれません。
これ、日本、やばい気がする。。。