「居眠り」って万国共通じゃなかったんだ!
こんな感じの日本の不思議な話ってよくありますよね。
私は逆にこの記事を読んでびっくりしました!
そうか、外国の方って居眠りしないんですね。
電車の中でもバスの中でもすぐ寝ちゃう私^^;
「公共の場」って意識を持てばいいのか、と学びました(笑)
日本人の「社畜」という体質。
これは、戦後の成長期には必要なものだったし、こうなるのは仕方のないことなのではないのかなと思います。戦時中から自分事・家族ごとよりは国のこと全体のことを優先するように教育され、そもそもの「和」を貴しとする国民性ですから、自分だけ人と違うことをするというのも性に合いません。更に日本は戦争に負けましたから、辛い時代を耐え忍んできた名残もあるのだと思います。
外の諸国のいいところをどんどん取り入れていくことはとてもいいことだと思います。
ですが、日本独特の国民性・精神性を伸ばし、日本独自の教育法を伸ばしていくこともいいのではないでしょうか。
もちろん、「参加することに意義がある」というフレーズもいい意味で使えるようになりたいですが(/ω\)
味も結局思い込みでしかないんだ
先日職場でこんなものをいただきました( ^ ^ )/
”わさび味のキットカット”
一体どんな味がすると思いますか??
”チョコレート”と”わさび”
こんな組み合わせが、まさか商品になるなんて、びっくりですよね。
味は意外といけるんです。
でも、”わさび”って思わないほうが美味しく食べられるかもしれません笑
結構これって大事なことで、
「決めつけ」「思い込み」で、
「これはこんな味だから、私は食べられない」と思ってるから食べられないものって意外と多いのかもしれません。
人付き合いも同じような気がしませんか?
「あの人はこんな人だから」
「あの人はどーせ言っても無駄だから」
それは、自分の思い込みかもしれませんよ?
人が人を動かして、そしたら何か大きなものが動くかもしれない
12月1日
この日は多分、秋田にとって記念すべき日になるんだろうなと思います。
同じ日本にいて、秋田なんてとても遠い国なんだけど、地元を愛し大事にしたい気持ちは変わらないなと思います。私は地元のために、彼女のように必死で考え、必死で動くことはできないとも思う。
そういえば、大学の時に某テレビ局でアルバイトをしていた時に局長のこんな言葉を今でも思い出します。
”熱を持って動け”
車も電車も”熱”で動く、そして人間も”熱”で動く。
人を動かしたかったら、”熱”を持って動くんだ。
今、彼女が秋田のために、日本のために、必死で頑張っています。
私は彼女の”熱”に動かされた一人です(o^^o)
一人一人の力は小さいかもしれないけれど、
それが少しずつ連鎖した時に大きなものが生まれるかもしれません。
そしたら、世界も社会も変わっていくのかもしれない。
「価値観のズレ」って何?〜その④〜
私自身も、自分で書いてて悲しくなってきました笑
そうかー
私が彼氏に、
「なんで私がこんなに心配してるのにそんなのもわかってくれんのや!!?」
と思うことも、
職場で上司に、
「私はこれだけやってるのにそんなこともわかってもらえないんですか!?」
と悔しい思いをすることも、
プロジェクトで同僚に、
「いやいや絶対私の意見の方が正しいのに、なんでそーなる!?」
と文句言いたくなるのも、
ぜーんぶ
「観点の問題」なのです。
しかし、原因がわかったところで、解決方法がないといけません。
その解決方法が、「認識技術」だと私は思います。
もちろん、「技術」なので一朝一夕とはいきません。
でも英語を学ぶと一気に世界が広がるように、今まで知らなかった領域の人付き合いができることは間違いないと思います。
それがどういうことなのか、またぼちぼち書いていこうと思います(o^^o)
ひとまず、今回のテーマはここまで⭐️
「価値観のズレ」って何?〜その③〜
「観点の問題」
これは世界のいたるところで発生します。
人がいるところでは必ず起こります。
夫婦間の問題、カップル間の問題、友達との問題、職場でのプロジェクト、企業間の問題、国と国との問題、etc.etc...
すべてがこの一つの問題に集約できます。
「価値観のズレ」という問題も、この中に集約されます。
ではなぜ、観点の問題が起こるのか。
それは、人間の脳機能の問題です。
人間はそれぞれに自分の価値観を持っています。(「判断基準」とも言います)
それは、生まれてから今まで、家族や親戚や友人や、経験や体験、さらには生まれた土地や国、本当に様々な様々な要素が複合的に合わさって形成されたものです。特に現代の人々が日常で接する情報量は膨大なものだと言われています。
全く同じ状況下で生活をしている人は一人としていない、特に個性に大事さが説かれる時代に、「人と人とが同じものをわかり合うことが可能」という大前提が成立すること自体が難しい。
全くの違う世界で生きてきた人間と人間がわかり合うなんて、到底無理なのですよ。
「価値観のズレ」って何?〜その②〜
前回、書いたところから時間が経ってしまったので改めて書いていきたいと思います。
前回は「両家の父親が大きな原因となっている」ということを書きました。
まずは、次の三つの原因の整理です。
①義理の父の不寛容さ
義理の両親の過干渉が直接的な離婚の原因と書かれています。
自分の力で会社を立ち上げた義理の父は「自分のやってきたことこそが正しい!」と思ってらっしゃったのでしょうね。この義理の父と接する事で見えてきたものがあります。
②実の父の不寛容さ
小さな頃から感じていた違和感がはっきり明確になったとかかれています。実の父もまた「自分のやってきた事こそが正しい!」という大前提で人と接するため、悪意なく人の事を傷つけてしまっているのではないか、という事でした。高校、大学を卒業し、企業に就職をして結婚をして子育てをする事が正しい事だ、この「普通」というものを、フリーランスである筆者の方は押し付けられてきたのかもしれませんね。そして、筆者の方は気づきました。
③自分の中の不寛容さ
義理の父と実の父の不寛容さに気づいた事で、筆者の方も自身の不寛容さに気づきます。それで、自分の離婚の原因は結局は「自分の不寛容さ」だった事なんですね。
最後に筆者の方は、自分ん不寛容さをを知ってしまったので、価値観レベルで今の彼女と歩み寄る事は難しいし、子どもにそれが残っていくのは耐えがたい、と締めくくっています。
いかがでしょうか?
私は、この記事を読んだ時に、
「これだけ価値観がズレた原因がわかっているのに、結婚できない、子どもに伝えたくない、という結末だと寂しいなぁ」と思いました。
ただ、この問題は世の中の至る所で起こっている事です。
そしてこれこそが私たちのコミュニケーションをうまくいかなくさせている、
「観点の問題」
です。
「価値観のズレ」って何?〜その①〜
今回は、ちょっと興味深い記事を引用させていただきます(o^^o)
タイトルは”呪い”なんて書いてあってちょっとドキドキしてしまうのですが、
誰しもにあることだと思うので、ちょっと目を通していただけたらと思います。
よく、離婚の原因として、「価値観のズレ」ということを聞く方は多いかと思います。それは、もしかしたら夫婦間のズレかもしれませんし、義両親とのズレかもしれません。
じゃあ、「価値観のズレって何?」ということを、細かく細かく書かれたのがこの記事かと思いました。
この記事の前に、少し話はあるようですが、この夫婦の離婚には両家の父親が大きな原因となっています。